届いた年賀状を整理していると、懐かしい方からのハガキを読んで過去を思い出してしまいました。
 以前エンジニアとして働いていた時、私が設計した部品と他の人が設計した部品が、共に納期が間近に迫ったことがありました。
 その部品を加工できる機械がその工場に1台しかなく、先に他の人が設計した部品の加工が始まると私はその加工が終わるまで約5時間待っていなければならないという状況になります。
 そうすると、間違いなく納期に間に合わなくなります。
 そこで、機械加工担当の職人さんに頭を下げて先に加工してもらえるようにお願いしたところ、
 「お前にそこまで頼まれたらしょ~がね~な~」 と言って加工してもらい、大変助かったことがあります。
 とても助かったと同時に、嬉しかったっという思い出があります。
 (年賀状の差出人は機械加工担当の職人さんでした。)
人間力
 先に加工してくれたのは、その機械加工担当の職人さんとは普段からコミュニケーションを取り、たまに飲みに誘われて一緒にお酒を交わしたこともあったからかもしれません。
 ちなみに、私の部品加工とダブルブッキングしたもう一人のエンジニアは東大卒のエリート。
 「どんなに能力や技術があったとしても、最後はやっぱり普段のコミュニケーションや人間力 ‥‥ 」
 よく言われることです。
 私に人間力があった訳でもないと思いますが、普段から難しい無理難題な依頼をしていた東大卒のエリートより、私の依頼を先に引き受けてくれた機械加工担当の職人さんから、なんとなくそんな事を感じたものです。

 そういえばこの「人間力」とは一体何なんでしょう?
 調べてみたところ、どうやら明確な定義は無いようです。
 つまり、誰もが何となく理解している言葉ということのようです。
 ここでは、このわかっているようで曖昧な人間力というものについて考えてみることにします。
 「人間力のある人」というと、どんな人物を思い浮かべるでしょうか?
 日本の歴史上の人物であれば、西郷隆盛や坂本龍馬といった名前をあげる人が多そうです。
 彼らは共に、力や身分といったものではなく、その人間力によって人々を動かし、偉大な功績を残したという印象が強いですよね。
 有名な企業経営者やトップアスリートの中にも、人間力というものを強く感じさせる人がいます。
 彼らは、スキルや体力の違いというより、人間として「モノが違う」と感じさせる何かを持っています。
 で、結局人間力とは何なんでしょうか?
 私たちは彼らの何にそれを感じるのでしょう?
 どこに人間力を感じるかは、人によって多少違いがあると思いますが、私なりに人間力というものを定義すると次のようなものになります。
 人間力というのは、「胆力・包容力・自律の精神」の3つの総和によりもたらされるもの。
 これらが全て高いレベルで共存している人物のことを、私たちは人間力が高いと感じる。
 人間力を構成する3つの要素をもう少し詳しく解説してみます。
 ● 胆力 : 覚悟が決まっている。芯の強さを持っている。
 ● 包容力 : 他者に対する深いレベルでの優しさ、慈しむ心を持っている。
 ● 自立の精神 : 他からの支配を受けず、迎合しない自立心、自分で立てた信念や規律を遵守する強さを持っている。

 「胆力・包容力・自律の精神」、もう少し簡単な言葉に置き換えると「強さ・優しさ・自制心」ということになるでしょうか。 
 この3つが高いレベルで共存していると、その人物に対して人間力の高さを感じるというわけです。
 人間力の高い人というのは、心の知性の高さを感じさせます。
 それは、頭が良いというのとは少し違った、どこか心地良い知性です。
 また、人間力の高い人の心理的な特徴としては、恐れから行動していないというものもあります。
 自己保身や自己防衛から物事を考えたり、行動したりしないのです。
 自分を明け渡していると言い換えることもできますし、弱い自分を克服していると言うこともできるでしょう。
 そしてそのせいか、彼らは普通の人より一段深い魂レベルで生きているような感覚を私たちに抱かせます。
 多くの人たちはそこに魅了されるのかもしれません。
 そして、人間力が高い人は、出会う人たちをファンにしてしまいます。
 したがって、その人がひとたび動けば、「この人のためなら」と多くの人が力を貸してくれるのです。
 能力はあるのに人間力が低い人というのがいます。 
 例えば、不正を働くエリート官僚、自分の利益のことしか頭にない経営者、悪口や言い訳ばかりしている上司‥‥。
 そんな人たちを見ると、きっと私たちは、その人の能力ではなく人間力の低さを感じるのではないでしょうか。
 本来、能力があるからこそ、ある程度の地位まで上り詰めることができるわけです。
 しかし、能力があっても人間力がないと、それ以上の地位には上がることはできません。
 人間力がないと、周囲の人たちから支持されないからです。
 しかし、間違って人間力のない人がトップに立ってしまうこともあります。
 そうなると、その組織は不幸です。
 奇しくも、西郷隆盛の言葉に次のようなものがあります。
 「徳高き者には高き位を、功績多き者には報奨を」
 人間力のある人物には高い地位を与えて人の上に立ってもらい、良い成績をあげた人物には金銭で報いるのが良い、ということを言っています。
 徳と功、つまり人間力と成績(能力)は別だということですね。
 これを混同して、能力があるというだけでその人物をトップにすえると、その組織は大抵うまくいきません。
 さて、長くなってしまいましたが、ここまで人間力について考えてくると、出来ることなら自分も人間力を高めたいと望むのが普通でしょう。
 では、どうすれば人間力を磨くことができるでしょうか?
 まず、前提として確認しておきたいのは、「人間力は努力次第で誰でも高めることができる」ということです。
 もちろん、ここで説明したようなことを頭で理解するだけでは十分ではありません。
 数々の試練を経験し、それを克服して行くことで徐々に高めていくものだと思います。
 近道は、人間力の高い人に教えを乞うことです。
 または、その人の近くでその人となりに触れることでも多くのことを吸収できるはずです。
 書物などを通して過去の偉人を師にすることも出来ます。
 苫米地英人博士も言っておられますが、例えば音楽であればモーツァルトやバッハなどの偉人の曲を聞いてそのエネルギーを感じたり、美術であればレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、レンブラント、モネ、ドガ、ゴッホ、ピカソなどの絵を見て、その絵からエネルギーを感じたり、数学・物理であればニュートン、ガウス、アインシュタイン‥‥

 ここまで、曖昧な「人間力」ということについて考えてきました。
 まだまだ書ききれないくらい深い命題ですね。
 人間力を高めていくということは、肉体的な成長が止まった大人が目指すべき次の成長と言えるのかもしれません。

 今日最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


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