苫米地式コーチングを学んでいると、よく「ノットノーマル(Not Nomal)」という言葉を耳にします。
 ノットノーマルというのは「アブ・ノーマル(変態)」 という意味ではなく、あえて日本語に訳すなら「非凡」 「抜常識」 ということになるでしょうか。
 自分の中のしがらみを捨てて、あえて、いくつかの分野で「ノットノーマル」 で生きてみようとする考え方。
ノットノーマル
 よく、正常な人、異常な人という言い方をしますが、では、何を基準として、正常と異常を判断しているのでしょうか?
 これは、実は単純に、みんなが正常と考えている範囲を超えると、異常と看做されるということなのです。
 なので、時代によって、正常な範囲は異なってくるし、世界の国々によっても、何が異常なのかの基準も異なります。
 県や町、村によっても、正常な範囲は異なってきます。
 ですので、正常と異常の区別については、実際のところ、普遍的なものではないのです。
 たとえば、日本では、裸で歩いていたら、異常とみなされて、警察官に逮捕されてしまいますが、アフリカの原住民の世界に住んでいれば、裸で生活していても正常ですし、当たり前と判断されます。
 このように、正常と異常の区別というものは、みんながどう考えているかに左右される非常に不安定な価値観であるということが言えるのです。
 ここで問題になってくるのは、みんなと違うことをした場合に、他者に迷惑をかけたり、他者を傷つけたりするかどうかです。
 もし、みんなと違うことをするだけでなく、他者に迷惑をかけたり、他者を傷つけたりするようであれば、これは、異常とみなすのが正しいでしょう。
 たとえば、みんなと違う行動をするだけでなく、他の人に危害を加えたり、他の人から何かを盗んだり、他に人にストーカー行為をはたらいたりする場合は、異常とみなし、警察はそのような人をしっかりと逮捕する必要があります。
 でも、みんなと違う行動をするだけで、他の人に迷惑をかけたり、他の人に危害を加えないだけでなく、本当の自分を表現して、個性を発揮する行動なのであれば、本質的に異常ではないし、目新しいものと判断するのが、本当は正しいのです。
 そして、このような、みんなと違うけれども、個性を発揮する行動こそが、次の時代の常識を創っていくのです。
 他者に迷惑をかけることはなく、他者に危害を加えたりしないのであれば、異常と呼ばれることは恐れずに、自分自身を表現することは大切なことです。
 人間誰しも、自分が考える正常範囲というものがあり、それを超えると、簡単に「あいつは異常だ」と決め付ける心理を持っています。
 それが障壁となって、本当の自分を表現することができず、心にストレスがたまって、心の病を発症する人がいます。
 周囲に異常と思われたり、嫌われたりすることは恐れずに、自分自身の個性を表現することは、とても大切なことなのです。
 そうすると、心の健康を取り戻せますし、「世界で唯一のあなた」になることができ、次世代の、より良い常識を作り出すことができるのです。
 「ノットノーマル」 であれ!とは、こうゆうことだと理解してみてくだい。

 今日も、最後までお読み頂きありがとうございました。


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